『在日「パンチョッパリ」』は自分達の“来日来歴”について嘘偽を騙るな!

コリアン米軍慰安婦!

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〔「諸君」2006.4「見直される朝鮮統治の暗黒史観」ジョージ・アキタ・ハワイ大学名誉教授〕

ハワイ大学 ブランドン・パルマー「日本の戦争による朝鮮人動員1937-1945」2005}

「ここでは,「労働者動員」と「召集兵制度」について,パルマーの研究をみていきたい.朝鮮人民を労働者として動員する際,朝鮮総督府は恣意的な強制行為に出ようとせず,また,出られなかった,とパルマーは論じる.

たとえば,日本本国で1938年に施行された「国家総動員法」を朝鮮に適用する際,総督府はきわめて慎重であった.法律の施行に三年の猶予を設け,本格的に朝鮮人民の動員が行なわれたのは1944年になってからのことだった.また同法は,日本女性には適用されたが,朝鮮の女性には適用されなかった.

「労働者として動員された人間は兵士として召集されない」というのも,日本本国にはなかった特例であった.その理由として,パルマーは朝鮮の労働者が国家主義共産主義に扇動されるのを恐れていたことと,太平洋戦争開戦以降,日本,朝鮮半島ともに労働者不足に悩まされ,労働者の「価値」が高まっていたことを挙げている」

「同様の理由から,日本政府や総督府は,強制的な召集兵制度の実現にも細心の注意を払っていた.パルマーは帝国議会において,「朝鮮人民を強制するとすれば,公平を保てるか」という議論が行われたことを挙げている」

「また,日本軍にあって軍人として昇進した朝鮮人が指揮官に任じられた例もある.朝鮮出身の将校のもとに,日本人の兵士が置かれていたことに,パルマーは注目する.たしかにインド人指揮官が英国兵を指揮したり,インドネシア人指揮官がオランダ兵に命令を下すといった図式は考えられないだろう」

{ギーウク・シン・スタンフォード大学助教授「植民地朝鮮における農民運動と社会変動」1996}

併合前,朝鮮農民は土地の所有権どころか権利関係が保証された“小作人”にさえなれなかった.併合後〜1918年迄土地所有に大きな変動はなかった.

総督府は積極的に小作農保護に尽力した.

「こうしたプロセスは,予想外の結果をも生んだ.総督府の小作保護制度に不満を持ち,先行きの不安を感じた地主の一部が,自らの資本を工業への投資に振り向けたのである」

在○はゴミ集団は対日犯罪を正当化!

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[在○が対日犯罪,反日テロを正当化する最近の例:「米」収奪伝説]

「まずもって朝鮮半島穀物生産に関しては,朝鮮総督府の農業政策によって朝鮮史上類を見ない収穫高をみるのである」

「輸出の推移が米の収穫高の激増によって,いかに伸びていったかを数字で表せば,一九一〇年の併合年に一一万石だった日本への米輸出が,一九二八年には七〇六万石,一九三三年には七四二万石となっている」

「この急激な輸出は,昭和初期の日本の米相場にも影響を与え,一〇〇〇万石の余剰米を出した当時の日本政府は米輸入の制限を行い,また米の価格暴落を防ぐため朝鮮・台湾の両総督府の間で米穀協議会を開かなければならないほどであった」

「また,当時の朝鮮半島の人間の主食に該当する穀物は米ではなく雑穀であり,薄いおかゆのようにして食べていた」

「こうした状況の下で,米の収奪など起こりうるわけも無い.正当な貿易として米が朝鮮から輸出され,時には半島における米の備蓄などを懸念した朝鮮総督府が米の輸出を止めるほどの事態を起こしている」

[在○が対日犯罪,反日テロを正当化する通例:「土地」強奪神話]

李朝時代の朝鮮農民は,最低限度の取り分さえ認められず両班などによる搾取の対象でしかなかった」(桜井誠、他「嫌韓流反日妄言撃退マニュアル」晋遊舎

[アメリカ史家による韓○捏造史観への反証]

「日本の植民地統治下における朝鮮の土地所有権1900-1935(1994)」

である」

朝鮮総督府が作成した「土地台帳」(1914年)と「土地所有権証書」(1917年),そして「地籍図」(1910~18年)である」

「これらを使って,グラゲートは五つの村落をケース・スタディとして,李氏朝鮮から統治時代の終わりまでの土地所有の移り変わりを明らかにした.その結論は,併合後から1918年までの間に,朝鮮人民から日本人および日本企業に大規模な土地譲渡は行なわれていない」

{ギーウク・シン・スタンフォード大学助教授「植民地朝鮮における農民運動と社会変動」}

総督府の小作保護制度に不満を持ち,先行きの不安を感じた地主の一部が,自らの資本を工業への投資に振り向けたのである」(『見直される朝鮮統治の暗黒史観』ジョージ・アキタ・ハワイ大学名誉教授「諸君!」2006.4)

「私設警察組織」結成し,日本国民に危害を加えた○鮮○落在○特権!

http://m.youtube.com/watch?sns=gr&v=xYU7TVF4ogI

兵庫県警察史編纂委員会「兵庫県警察史・昭和編」〕

「警察署襲撃などという,法と秩序への挑戦は以後も続発し,市民を恐怖のどん底に叩き込んだ」

「これは「生田警察署襲撃事件」と呼ばれるものだが,朝鮮人の警察署襲撃はこれだけでは収まらなかった.46年1月にも,朝鮮人の集団により富坂警察署が襲われ,署が占拠されるという事件が起きた.いわゆる富坂署襲撃事件である.同5月には長崎警察署が朝鮮人や中国人200名の集団により襲撃される(長崎警察署襲撃事件).さらに8月には,富山駅前派出所も襲撃されている」(「スレッド」vol.2晋遊舎2007.10)

「在日朝鮮人北朝鮮への「帰国」は,金日成と韓徳銖に最大の責任がある」

北朝鮮への「帰国」を希望したのは在日朝鮮人である.もし許さなかったなら暴動が起きたであろう」

「一九四八年,米軍の指示で,文部省は朝鮮人学校の閉鎖命令(一月二十四日)を各都道府県知事に発した.それに対して総聯の前身団体

「在日本朝鮮人連盟」(朝連)

は各地の知事に撤回を求めてデモを掛けた.特に神戸・大阪での反対は激しく,四八年四月二十四日,朝鮮人約五万が兵庫県庁を実力で占拠,学校閉鎖命令を撤回させ,逮捕者の釈放を認めさせた.米軍の占領政策が朝連の暴力に屈するという深刻な事態が現出したのだ」(「諸君」2006.7「もし朝日新聞にああ言われたら-こう言い返せ『北朝鮮への「帰国事業」の悲劇は政府にも責任ありと言われたら』」佐藤勝巳・現代コリア研究所所長)

「彼ら(朝鮮人と中国人)は闇市を掌握して巨大な利益をあげ,徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩していた」

「通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ,無銭飲食をし,白昼の路上で婦女子にいたずらをする.善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた」

「こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた」

「袖に腕章をつけ,半長靴をはき,純白の絹のマフラーを首にまきつけ,肩で風を切って街をのし歩いた」

「腰には拳銃をさげ,白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器をひっさげた彼らの略奪,暴行には目にあまるものがあった」(「山口組三代目 田岡一雄自伝(第一部)電撃篇」徳間文庫)

韓国メディアは大反発! 慰安婦像撤去求めた「在日」の苦悩