ひとそれぞれ〜コラムから

人によって違うよね。

「人」は、作家の場合もあるし、翻訳者の場合も、読者の場合もある。

相性というのかな。

ベストセラーだと言われて読み始めた本があった。一章目、50ページほどは、医学用語が多かったし、全然話に入れなくて投げ出しそうになった。我慢して読んだが全然頭にないらなかった。それが、二章目以降は普通の生活の話(用語)になり、最後まで楽しく読んでしまった。同作家の2冊目は、どうということなく、最後まで読んでしまった。3冊目は、全然入り込めず、半分ちょっとでリタイア。まったく何の話か分からず、その後あらすじも書評も読んだが、残念ながらいまだに理解できない。4冊目は、食べるのも寝るのも忘れて一気に読んでしまった。何の拍子か、それから2冊目をもう一度読んだ。4冊目は、すごいスピードで読んだ。それくらい先が知りたかったから。だが、2冊目の2回目は、じっくり読んだ。自分で今思っても、じっくり、前に戻って内容を確かめながらゆっくり読んだ。読めば読むほど、読み返せば読み返すほど、行間から何かが見えてくるようだった。5冊目は、読んだが全然覚えてない。それ以降は・・・止まってしまった。図書館で借りた本もあったが、読んだ、読み進んだ記憶がない。ブックフェアのときも顔を見たし、サインを求める行列も待てな\xA4

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日本にいたとき、日本語版が出ると、必ず読んだ作家がいた。面白かった。日本語訳が手に入りにくくなったので、図書館で原書本を借りてきた。その時に、英語圏以外ではあまり人気がないのかな・・・とも思った。難しくて読めなかった。特に英語のユーモア、言葉遊びがちりばめられた短編集で、お手上げだった。同作家の小説は好きなんだがなあ。その後、この作家の翻訳をずっと行っていた翻訳者がなくなり、新しい方に変わった。手元にあるが、まだ読んでいない。

図書館学の勉強をしたというと、本が好きなんだね、とよく言われる。ここでいわれる「本」とは、読書好きと同義語のことが多い。確かに読むのは嫌いではないけど、やっぱり嗜好は私個人にもある。でも図書館には自分の好きな本ばかりではない。自分だけの私文庫ではないのだから。「空はどうして青いの?雲はどうして白いの?」と問いかけられて、小説の並んでいる書架にはいかない。「今度、xxに旅行に行くのですが・・・」と言われれば、旅行案内や地理関係の書架、または旅行記やその国が部隊の小説を案内する。「1900年代の環境問題に対する行政の対処の歴史を」だと、政府刊行物や環境問題の書架だ。図書館員だからと行って、全部の本を読んでいるわけではないし、全部に興味が持てるのでもない。こういう質問を受けて、「資料」と情報を欲しがっている人との橋渡しをし、それをしながら自分の知識や興味を広げていくことにはつながる。

なぜ読書を「しなければいけない」の? 

小さい子にだったら、何でも「しなければならない」と少々強要して、習慣づけるのは大切化もしれない。成長するにつれ、自分が好きなこと、自分に合わないこと、大っ嫌いなことは出てくる。「興味」がなければ、何事も続かない。「しなければならない」ではなくて、「興味」を持たせる方がよいのでは?。一般的にいう小説が読めなくても、興味のある「科学書」とか「研究物」とかは「読んでる」のかもしれない。

漫画「なぜ読書をしなければいけないの?」 読書家母の回答を図書館司書たちが絶賛