5月22日

宮城前広場で内外地の学生生徒32500人が集結する親閲式。青少年学徒ニ賜ハリタル勅語発布:昭和14年のこの日。「近代国家として成立したばかりの大日本帝国」を前提に明治23年に発布された教育勅語は、日本が列強の仲間入りを果たした日清戦争(明治27年)後くらいから既に時代に合わなくなり始めたため、第3次伊藤内閣(明治31年)時代の文相・西園寺公望によって列強国の国民としての社会道徳を説いた『第二教育勅語』の起草が行なわれたが、教育勅語は一言一句が神聖視されていたため、「教育勅語の改訂」と言う作業が行えなかった。そのため、「戊申詔書」(明治41年)や「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」(昭和14年)などの新たな勅語の発布で教育勅語を補うとともに、「教育勅語の再解釈で補う」という方式が取られ、時局に合わせて教育勅語を再解釈しながら、これらがすべて廃止される昭和23年に至るまで、教育の基本方針として使い続けられた。

【口語訳】国家の基礎を培い国力を養い、国家隆昌の機運を永久に維持しようとする任務はとても重く、その道ははなはだ遠い。それゆえその任務は実にお前たち青少年学徒の双肩にかかっているのであるから、お前たちはその気骨を尊び、廉恥心を重んじ、古今の史実に学び、国内外の時世を考え、その思索を確かにして識見に優れ、行うことは中庸を失わず、向かうところ誤らず、それそれがその本分を謹んで守り、学問を修め、武術を練り、質実剛健の気風を盛んにして、負わされた大任を全うすることを決意しなければならない。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、青少年学徒ニ賜ハリタル勅語

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