母の面影を越えて ( 映画『甘き人生』)

イタリア映画界の巨匠と言われるマルコ・ベロッキオ、待望の新作!

いや〜いい映画でした。だけどこの人、悲しいくらいに日本では人気が無い。。。

そのギャップについては前作『眠れる美女』の日記でもさんざ述べたので、これ以上しつこくは述べません(笑)

自分が他に観た過去作について考えれば、ベロッキオ監督の映画に共通するのはイタリアの探求だ。歴史、政治、社会など様々な角度において。

だから余計に我々には「わからない」ところが大きく、置いてきぼりを食らう思いが強いのが不人気の原因なのだけど、自分にとっては映画は異文化を知るための窓のようなもの。だからこそ興味を掻き立てられるところがあるのだけど、そんな奇特な(?)見方をする人間も少数派なのだろうな。

あ、やっぱりしつこく言ってるか(笑)

だけど本作は、今までの作品とはいささか趣を異にしている。それはイタリア男性の誰もが持つ「母への思い」(「Mammone」)が物語の大きなテーマだから。

主人公マッシモは幼い頃に、愛する母親を突然喪う衝撃に直面する。

死因は伏せられ、それが余計に彼にとって拭いがたい悲しみを残す。母の死を受け入れることが出来ないまま、彼は反抗的な少年時代を送り、長じて新聞記者となる。

子供だった60年代と、大人になった90年代。それが交互に描かれていく。特に少年時代、当時のテレビ番組がふんだんに登場したり、物語の舞台はであるトリノのサッカーチームを、マッシモ少年が父に連れられて応援する場面もあるなど、当時を知るイタリア人ならノスタルジーたっぷりだろう。もちろん自分はさっぱりわからない(笑) 他の方もだろう。

子にとって母親は、親愛と抵抗が入り混じる複雑な存在。それがマッシモを巡る幾つかの場面で伺える。また、彼はボスニアで戦争特派員として取材中に、昔の自分を見るかのようなショッキングな光景を目にしたりもする。

マッシモ演じるヴァレリオ・マスタンドレアの、まだ歳も40手前だろうに、老人のようにくたびれた表情がたまらない。喪失感が屈託となって心の底に沈殿するとこんな顔になってしまうのか。マッシモが母親の影を振りきり、未来を見つめることのできる日は来るのか?

なんだ、この映画、結局はマザコンものじゃないか!?と言うなかれ。マッシモの姿は、ウジウジとした混迷感を抱えながら日々をやり過ごす現代のイタリアの姿じゃないか。という深読みが成り立つのです。カタチは自立してても馴れ合い体質。それはまさに「Mammone」の宿痾ではないか。

ネタバレになりますが、マッシモは母とは全く違うタイプの女性に出会う。「良き母親」だけが女ではない。それはベロッキオ監督の、女性達に向けるメッセージにも思えるのです。 そしてもうひとつ。イタリアにおけるカトリックの存在。これに対する抵抗感、信仰の不在というのにおいても。

【予告編】https://youtu.be/PE1gRTtQTD0

ベロッキオ監督の眼差しは相変わらず「堅い」。それは、情緒に流されず、観る者を媚びない強固なインテリジェンス。でも、人に対してどこまでも優しい。それが彼の魅力。

以前の日記で述べたけど、空中殺法も無ければロープにも飛ばない。組んで投げて押さえるだけのストロングスタイルのプロレスを観る思い。あ、いかんわ、またこんな例えをしてからに(笑)

〈 シネ・リーブル梅田で公開中 〉

眠れる美女

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『愛の勝利ムッソリーニを愛した女』に関する日記